先月、出版社の方と打ち合わせをさせていただいた際、twitterに言及した。
編集者の方はtwitterを使用されたことがないとのことだったので、twitterとはこんな感じのもので、私の場合どのように使っているのかをお話した。
その説明を耳にすると、編集者の方は「辻占みたいですね」とおっしゃった。無教養ゆえに「辻占」という言葉の意味を知らなかった私が、今度は反対に説明していただく。
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wikipediaより
辻占とは、辻(交叉点)に立って、通りすがりの人々が話す言葉の内容を元に行う占いのこと。...偶然そこを通った人々の言葉を、神の託宣と考えるのである。
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私はiphoneとPCでtwitterを利用しているけれども、フォローしている方々全ての「さえずり」を目にしてはいないと思う。
放っておけば「さえずり」はどんどんと流れていってしまい、またレスも強制されていない(と思う)。なんとなくtwitterにアクセスした時に読みたい程度まで遡る。
でもそんな偶発的な情報の流れの中で、たまたま紹介されていたサイトのアカウントを取得したり、誰かが読み終えたとさえずった本をamazonで購入してしまったりしている。
そんなことが毎回あるわけでは勿論ないけれど、誰かが観ているとさえずったテレビ番組を観てしまったり、自宅に帰るというさえずりを見て車の鍵を手にすることもある。
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たまたま、何の気なしに時間を共有してしまった人の発話によって、地味だけれども自分の行動が規定されてしまっている。ftf(face to face)で空間を共有している人の言動で行動が左右されることは多いけれども、「web空間の知り合いだらけの往来」に影響を受けることがあるわけだ。
辻占のように占いとまではいかないまでも、偶然のオンライン上のさえずりを元に次の行動が決まることのある私の様子は、辻占twitterとも見えた。
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どのくらい私にとって「ひっかかるさえずり」があるのかカウントしたことはないけれども、休憩がてらにtwitterを覗いて、そこでさえずり内の用語をググったりした場合は、充実した休憩時間となったような気になる。
