土曜日は納得研@青学に参加。報告はてんこもりで3件!
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報告1「情報デザインの要素を取り入れた教材開発と実践」
海洋科学高校 若林庸夫先生
グループで協力し、彼我の視点を交換し合いながら、茹でていないスパゲティを水平方向に伸ばす方法を考える、「スパゲティカンチレバー」という教材を実践した。コンピュータを一切使用しないが、「情報デザイン」という情報教育の一分野である。簡単そうに見える課題が、予想に反してうまくできないというギャップに直面し、生徒は「やり方」を考え、協力しながら改善してゆく。この過程では、「考え」をことばに表し、他人と共有することが必要である。
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報告2「Web 技術の学習環境のデザインの分析」
東京都市環境情報学部 上野直樹先生・ソーヤーりえこ先生
この発表では、まず、webシステム系の学生の報告やwebサイトの調査をもとにして、web系技術者のコミュニティに焦点を当て、社会的アーキテクチャとしてのWeb2.0の使用環境や使われた方を紹介します。そして、東京都市大で行っている現代GPによるWeb2.0システム開発プロジェクトについてのフィールドワークに基づいて、システムを開発した学生たちのWeb2.0技術の学習環境のデザインがどのようなものであったかを分析します。
更に、こうした調査の結果をもとに、状況的学習論の観点から、現代的なweb技術の学習環境のデザインを行うための観点を考えて見たいと思います。
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報告3 「最近読んだ「目からウロコ」論文」
佐伯胖先生
佐伯先生のコラムhttp://www.gshi.aoyama.ac.jp/より
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その中で、議事録メモに間に合った報告2と報告3について簡単にご紹介。あくまでメモ。
報告2:web技術の学習環境のデザイン
多分に示唆に富んだ研究。その中でも、webシステムをデザインしようとした(東京都市大学の)学生が、どのように(ギーク的な)「実践のコミュニティ」に参加して、「web2.0的なプロジェクト」に参加できるようになったのか?に関する発表のメモ。
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学生のKさんは、ゼミに入ってきた際、JavascriptやPHPなどのプログラミングができたそうである。その「技術」や「知識」を持って1つシステムを作ることがゼミの課題となったが、半年たってもできずにいた。
実はこの時Kさんは、「自分一人の力」でやろうとしていたとのことである。それは古典的な学習方略のようであり、他のギークがよくやるような、「作りたいものに関連した情報を、web20のコミュニティからもってくる」、「関連したソースコードをネット上で検索して、そのソースコードを自分なりにカスタマイズする」という方略とは異なっていた。
Kさんはこういったギークが普通にやるような方略を知らなかった。しかしその後、サーバ構築の仕事が割り振られ、研究室の先輩二人と密に絡むようになる。Kさんは、先輩らとインタラクションを通して、ギークコミュニティがあたりまえにやるコーディングスタイル、特定のソースコードにアクセス可能になった。
その後も頻繁に研究会が開催され、Kさんはそれにもアクセスし、また、自分も講師として研究会に参加するようになっていく...
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この事例は、以下のようなことを示していると言えるだろう。
1. 参加とアクセス
プロジェクトという実践への参加が、web2.0技術のリソースへのアクセスを可能にする。コミュニティ内で特定のポジションを獲得することにより、それによって様々なリソースにアクセスすることが容易になった。
2. テーマ設定とweb技術
webの技術的リソースは膨大で、リソースがどこかにおかれているというだけでは使う事はできない。実際にあるテーマに即して本格的にシステムを使った場合に、はじめて分かることも多い。
3. プロジェクトに埋め込まれた知識
開催された研究会は、一見、一般的なプログラミングの授業や講習と変わりない。でも、内容はあくまで進行中のプロジェクトに即している。例えば、研究会で学習された知識は、ただちに実践的に用いられることになる。よって、何のために特定の技術を学習するのかということの意味が、参加者に明示的になっている。
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続いて佐伯先生のブログ「目から鱗」のメモ。
内容は佐伯先生のブログ記事が勿論分かりやすい。
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私が興味深かったのは「模倣」について。ヴィゴツキーの(ZPDのいう)模倣は、表面的なミミッキングとは異なる。それは理解がともなった模倣である。
自分だけでは生じない。「あのようにするのがいいことなんだな」といったような理由付けだとか、根拠というものを感じ取りながら、模倣は生じる。
しかも、「誰かがやったこと」をその通り模倣するのではない。ある行為を模倣するには、どのように他者とインタラクションをとっていくのか、その他者とのコラボレーションをとれるようになる、そのコツを会得しなければならない。他者と関係を構築して交渉すること、これができるようになるコツである。
佐伯先生が留学中に経験したこととして、米国の大学での議論をあげていた。そこの場で何にも発言しないままでいると、完全に「ほされる」。彼らは考える先に口が動く。どうやって議論に入るか、割って入ってから言いたい事を考えるようなもの。
例えばそうやって、「インタラクションの仕方」を学び、それを模倣する。そっくりそのままサル真するのではなくって、「ああやって関係づくりをするのか」ということが模倣や(ZPDがねらったこと)で重要なことある。
#ここで見せていただいた「サル真似しないサル」と「猿真似する人間」のビデオが非常に面白かった。
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大人が指示したことをそのままやった方が生きやすいという「客観的ZPD」というものがみえてしまう。「こういう時は、こういう場面なんだ」ということを理解して、その場の「お約束」を読み取ってとりあえずそれをやる。
その場の約束事の意味は分からないけれど、(意味が文化的に不透明でも、)その通りやっておけば間違いない、いちいち反抗することもないと仕向けられていく工程の中に人間はいる。模倣を通して人間は文化を真似していくのだろう。
