筑波大学で開催された質的心理学会にて「主体性のデザイン」というシンポジウムを行いました。状況的認知、状況的学習論のセッションで、さまざまな現場にグイグイと食い込んでいく30代40代の中堅研究者にご発表いただきました。事故統計、エコツアー、法廷という場におけるリアリティ構築が、たんにナラティブということだけではなく、それぞれの具体性で記述されていることが非常によく分かるシンポジウムになったと思います。
最初に準備運動として発表いただいた青山征彦さんは、「ハイブリッドコレクティブは一夜にしてならず」という心に染み入る言葉とともに〆てくれました。アクターネットワーク論を追い求めつつ好きにはならないツンデレ青山さんらしい観点でした。アクターネットワーク論を用いて分析するときに、ある瞬間のアクターの構成をみるだけではなく、様々なアクターの関与の歴史的蓄積によって今の布置があるという視点、またある瞬間ある人の目から見るからハイブリッドコレクティブだということへの意識。違う布置の絵があるということをきちんと考えておくべきだということが重要だと思いました。参考→「アクターネットワーク理論が可視/不可視にするもの : エージェンシーをめぐって」
続いて藤田悟郎さんに、「事故統計と犯罪統計における主体性のやりとり」というタイトルで発表していただいた。以下の論文「自動車事故予防を目指す実験室研究における困難」がかなりの力作ですが、改めて、主体性というもの、もしくは関心や同盟といったものが、インスクリプションによってみえてくることがよく分かりました。事故統計や犯罪統計というインスクリプションは、調査担当者や管理者(非研究者)、そして外部ユーザー(研究者)といった様々な人々=主体が利用するわけですが、そこで主体性の関心の不一致が原因となって混乱と交渉が生じる。この混乱を乗り越えるための手だても追求されていて、こうした交渉やインスクリプションとセットではじめて主体が見えてくることを強く意識させられました。
小笠原エコツアーの帰路(25時間半!)にエコツアー参加者に無限インタビューを繰り広げる文野洋さんは、インタビュー場面、特に研究者とインタビューに回答する人=エコツアーで何か学習した主体の2者構造を問い直し続けています。温厚な容姿とは異なり、文野さんの主張は「語りを単独で産出する個人、いわば実験データのように取り扱われることが質的研究では多い(けどそれでいいの?)」と強い。研究者はインタビューテクニックで「学習すべき主体」を構築する存在だし、話し手はその役割を引き受けてくれたという存在として見るべしと。そして、インタビュー場面ではインタビューに応じる人と、それを破るエコツアー参加者という人、そういった関係性の移行や反復が生じ続けるのだと。これは、私も含めインタビュイの「自発的な語り」としてみようとしてる研究、または学びは個単独で生じているとする研究への大きな警鐘だと思います。参考→インタビューにおける語りの関係性 : エコツアーの参加観察
最後に高木光太郎さんの発表。高木さんとシンポジウムでご一緒するのは始めてですが、引き込まれました。あんなに「めった刺し」という用語が飛び交う学会発表ははじめて聞きました。法廷や供述調書作成時にどのように犯罪者が作られていくかの話。検察や警察という「事実」の情報を持っていない聞く側が、事実情報を持っている被疑者より偉いというその不均衡。被疑者から証言を引き出す特有の「構築システム」のもと、ある人をうまいこと体験者=被疑者としてつくりあげていく、その体験者=被疑者構築システムの強力さを見事に例証されていて、強い興味を覚えました。
高木光太郎さんの著作はググれば無限にでてくるので、読み直して行きたいと思いました。
今回は「アフタートーク」(=宴会)と称して、筑波大学から徒歩10分の百香亭に行きました。合計20名もの方々にご参加していただき、こちらも大満足の宴会になりました。数年、主体性のデザインというテーマで研究会やシンポジウムを組織できればと思います。
企画: 有元 典文 (横浜国立大学)
企画・司会:岡部 大介 (慶應義塾大学)
話題提供者:
青山 征彦 (駿河台大学)非-人間のエージェンシーをいかに考えるか:主体を考えるための準備運動
文野 洋 (東京都立大学)エコツアー参加者の環境学習の研究と主体性
藤田 悟郎 (科学警察研究所)事故統計と犯罪統計における主体性のやりとり
高木 光太郎 (青山学院大学)「体験者であること」をめぐる交渉
指定討論者: 鈴木 栄幸 (茨城大学)有元 典文 (横浜国立大学)
企画趣旨:本シンポジウムでは、主体性を個人に所与の実体ではなく、社会文化的な構築として捉え、その構築のありさま、ダイナミクスについて具体例を挙げて検討する。ヴィゴツキーに端を発する社会文化的なアプローチでは、私たちの主体性は、人工物や制度と不可分な総体として議論されてきた。こうした人工物や制度自体が、私たちが自分たちの世界を作るためにデザインしてきたものであり、その意味では私たちは私たちの主体性をデザインする存在であると考えられる。このような観点から、まず主体性はいかに語られてきたか、またどのように考えるかを概観し、その上で、「主体性の社会性」が際だつ3つの場面から話題提供していただく。
いずれの場面においても、主体性は皮膚の内側のものではなく、制度やインスクリプション、人工物といった皮膚の外の具体的なセッティングによって構築されている。世界を特定の活動の対象としてデザインすることと、特定の対象に向けての動機をもつことの、再帰的な運動のスナップショットとして、主体を捉えていく。

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